軽度自閉症の息子が共感力を得るまで(母親のあくびがうつるようになるまで)中編

今回は、息子の共感力について、2歳頃から就学までの状態を振り返ってみたいと思います。

このころは、息子の情動的共感力が育ってきた大切な時期でしたが、同時に私の子育てが最もうまくいってなかったときでもあり、子供の情動的共感力のみならず自我の成長を母親自らの手で遅らせてしまったかもしれない・・・と強く反省し後悔しているところです。

(「情動的共感力」については、こちらの記事で詳しく触れていますので是非ご参照ください⇒「自閉症スペクトラムと共感力について」)

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自分の感情を言葉にし始めた(2歳3カ月頃)

息子が初めて意味のある言葉を発したのは2歳直前でした。

その後は、2語文、3語文と順調に増えていきました。2歳3ヶ月ごろから、自分が感じ取ったことを言葉で表現できるようにもなっていきました。

「すごいね~」「おかしいねー」「かわいいね~」「おいしそうだね~」「ちょっと怖い」「楽しかった~」など。

このような言葉が出てきたということは、言葉を使って自分の感情を意識に上らせることができるようになってきたということなので、自分の気持ちに気づき始めたのだと思います。

これによって、主に他者との関係において成長する「自我(自分をコントロールする意識)」が芽生える準備が整ったことになります。つまり「自我の根っこが生えてきた」状態とも言えると思います。

もちろん、この段階では、息子は「自分には心がある」ということまで積極的に認識できていたわけではありません。心の何らかのうごめきをキャッチし、それを言語化して意識することができるようになってきたという、あくまでも受け身的な段階です。

それでも、この時期の息子は、自分で自分の気持ちに気付けるようになったことで、自分の感情をベースとして他者に同調する情動的共感力を獲得する第一歩を踏み出したと言っていいはずです。親がうまく促せていれば、その後の、共感力をはじめとする精神面の成長は順調だったかもしれません。

ですが、実際の経過は決して順調ではありませんでした。

人形や愛用の物への感情移入は強かった(2歳半頃)

2歳半前後から、人形や愛用の物への感情移入をするようになりました。
その感情移入は、明確で強いものでした。

例えば、当時我が家のお風呂場にはゾウさんジョウロを置いていましたが、遊びに夢中でなかなかお風呂場に行こうとしてくれない息子に「ゾウさんジョウロが『パラッコくんが来てくれないから寂しいな~』って言ってるよ~」と言ったとたん、一目散にお風呂場に向かってくれました。

歩きながら傘をバチバチと道路に叩きつけるので、「傘さんが『痛い痛い』って言ってるよ~」というとピタッと止めてくれました。

帰宅しても駐車場に停めた車からなかなか降りてくれない息子に、「お庭のお花たちが『パラッコくん、やっと帰ってきてくれたんだね』って言ってるよ~」と言うと、あっさりと車を降り、お花を撫でに行ってくれました。

おそらく、息子の中で進んできた、自分の感情の意識化と、ぼんやりと進みつつあった自他分離とによって、自分以外の他者に感情移入する力、つまり情動的共感力を獲得していったのだと思います。

ところが、そんな息子でしたが、母親や父親には相変わらず、かみつく、たたく、蹴る、を頻繁に繰り返し、私が痛がってもケラケラと笑っているだけでした。「ママ、かわいそう」などという、母親への同情や共感を抱くシーンは皆無でした。

親に対してだけでなく、お友達にも、自分より小さい子にも、同情や共感を抱いていた様子は、少なくとも私の記憶には残っていないのです。

なぜでしょうか・・・

息子は、自分とは異なる他者の存在に気付き始めていましたが、生身の他人を自分と同じような存在として認識することが困難で、まだまだ自分中心の自閉的世界が世の中を支配しているような認識であったために、他人の存在を受け入れることが難しかったように思います。

そのため、息子が共感を抱ける対象は、意志や感情がない、あるいは意志や感情が伝わってきにくい、人形や物、動物、虫、自然にとどまっていたのだと思うのです。

息子は、意志や感情が伝わってこない人形や物などには不安なく近づき、それらに、ある意味乗り移って自由に自分の感情を投影することができたのでしょう。そのように感情移入しているときは、息子にとってそれらは切り離された存在ではなく、一体化していたようにも思います。

一方、独自の意志や感情を持って勝手に動き回る人間に対しては共感が向けられませんでした。「理解できない存在だから仲間ではない、共感もできない」と感じていたのか、排除・拒絶しようとすることすらありました。

ただ、母親や父親など身近な存在に対しては、独特な距離感を持っていました。共感も同情も湧かないようでしたが、ベッタリと甘えてワガママ言い放題でした。おそらく、母親や父親は、意志も感情もあって独自の動きをする存在ではあるけれども、ずっと一緒に過ごし、自分の希望を色々と叶えてくれる存在であることから、不安がなく、必要でもあったのでしょう。だからこそ、自分の世界(自閉的世界)に取り込んで、人形や物などと同じように息子の意のままに動く存在、つまり自分の仲間、あるいは自分の一部にしたかったのではないでしょうか。

息子の自他分離はまだまだ弱く、自閉的世界が支配的だったようです。息子は、その自閉的世界から抜け出したくなかったのでしょう。

自他の分離が進んできた(2歳8ヶ月頃?)

息子は、2歳直前にようやく私のことを「ママ」と呼び、父親のことも「パパ」と呼ぶようになりましたが、そのころはまだ、自分と他人とを完全に分離できていなかったのではないか…と思います。

なぜなら、その頃の息子は、私に何かを見せようとするときでも、見せたいものを自分に向けたままでした。2歳前後にようやく指差しができるようになってきた息子は、絵本の中の動物を指さして「これ、なーに?」と私に尋ねてくるようになりましたが、台所に立っている私の方に絵本を向けたり持ってきたりしてくれないので、何について質問しているのか私には分かりません。私が、「どれのこと?ママには見えないよ。ママに見せて~」と言っても、絵本を自分に向けて座ったまま、離れたところから何度も尋ねてきました。

向かい合って座ってるときでも、私に本を向けてくれませんでした。

このようなことは、あらゆる場面でありました。おそらく、他人という存在に気付きながらも、まだ自他の分離が曖昧であったために、「自分が見ているものは他人も見ている」と感じてしまいがちだったのだと思うのです。

ところが、2歳8ヶ月頃になってようやく、絵本でも何でも、私のほうに向けることができるようになってきました。「自分から見る世界と他人から見る世界は違う」ということに気付き始めた、つまり、自他の分離が進んできたのだと感じました。

自分と他人とを分離できるということは、自我形成にとって重要な第一歩です。自分の感じ方や考えを意識に上らせ、そう意識する自分を他人から切り離した存在だと認識できる段階までくると、自我形成の旅がようやく船出の日を迎えます。

やや遅まきながら、「自我の芽生え」が始まったとも言えます。

母親の気持ちをしきりに確認し始めた(3歳頃から)

3歳頃から、私が息子と一緒に遊んでいると、息子はしきりに「楽しい?」「楽しい?」と1分おきや数秒おきくらいに尋ねてきました。

ほかにも、大きいものを見ると「これ大きいと思う?」とか、
長いと思うものをみたら「これ長いと思う?」など、何でもかんでも、繰り返し繰り返し私の気持ちや考えを確認してきました。

後に、臨床心理士の先生から、息子のこの確認作業について次のような説明を受けました。

自分の気持ちがつかみにくいために、
他人である母親の気持ちを確かめることによって
つかもうとしている

息子は、「楽しい」「かなしい」「うれしい」などの気持ちを言葉で表現できるようになっていたので、私は「自分の気持ちの言語化・意識化が順調に進みだした…」と思っていました。ですが、やはり、その成長の程度(レベル)にも色々あるということなのでしょうね…。

息子の意識化レベルはまだまだ弱々しかったために、他人の気持ちを知ることによって自分の気持ちを確認したかったのかもしれません。これも一種の自己刺激ということでしょうか…。

そして、その「他人」として、当時の息子は常に母親(私)を選んでいました。母親は自分に一番近い他人で、「いつも僕と同じ気持ちを持っているにちがいない」と息子が錯覚しやすい存在であったからでしょうね。母親を他人と認識しつつも、近い存在だからこそ明確に自分から切り離すことがまだできていなかったのだと思います。

ですから、どんなにしつこく繰り返し聞かれても、母親は、息子の感情を代弁してあげた方が良かったのでしょう。しかも、その感情と矛盾しない表情も添えて、息子の鏡になってあげることが望ましかったのだと、今なら分かります。

そうすれば、息子は、自分の感情の意識化をさらに順調に加速していき、大切な自我の根っこ土台)を丈夫なものにすることができたはずだと思うのです。さらには、母親のことを「共感できる仲間・同類」と認識できるようになる時期がもっと早まっていたかもしれません。そして、人形や物に対して持っていた情動的共感を母親にも持ち始め、そこを突破口として、もっとスムーズに広く他人に対して情動的共感を抱けるようになったのではないか…と思うのです。

ですが、そんなことを全く知る由もなかった当時の私は、十分な対応が取れませんでした。

息子と一緒に遊んでいるときの私は、もちろん楽しいときもありましたが、息子のこだわりの繰り返し遊びに延々と付き合わされるのは正直苦痛になることの方が多かったです。しかも、約束を守れない息子でしたので、「あと5分ね」「うん」などという母親との口約束をまるで守ってくれません。

ですから、息子に「楽しい?」と聞かれた私は、「楽しくないよー!」とぶっきらぼうに答えてしまうことも多々ありました(…ひどいですよね…)。あるいは「楽しいよ」とは言いながらも、表情は冷めきっていたり、疲れ切っていて、「楽しい」という言葉と表情とが合致していないことも多かったはずです。

これは、息子の精神を発達させるうえでマイナスであったと悔やんでいます。

それでも、この時期の息子はそれまでとは異なり、「母親にも気持ちがある」ことに気付き、それを受け入れようとし始めた点で、大きく成長していたとも言えます。自我とは、主に他者との関係で自分をコントロールする意識なので、「他人にも気持ちがある」ことを受け入れ始めたことで、自我の成長も一段階上のレベルに前進することになります。

ですから、「僕は楽しいけど、母親は楽しくないと言っている」…そのような事実も、息子が学んでいかなければいけない重要な事柄であったと言えますが、その前に、息子自身が自分の気持ちをしっかりと認識できるように土台作りを優先すべきだった

これこそが、この時期の育児に対する私の大きな反省です。この土台の脆弱さは、その後の息子の成長にあらゆる面から大きく影響したからです。

幼稚園年長になっても「心の理論」を理解できなかった

「心の理論」とは、「自分の心の内容と他人の心の内容は異なる」という前提に立って、他人の心の内容を推測する機能のことをいいます。この「心の理論」は、情動的共感力よりも高度な発達レベルを必要とする認知的共感力を獲得するために、また、自我形成や他者理解を進めていくために必要な心の機能とも言えます。

この「心の理論」を獲得しているかどうかを知る方法として、『サリーとアンの課題』や『ジョンとメリーの課題』などの誤信念課題が有名です。

(これらの誤信念課題と「認知的共感力」については、こちらの記事の「認知的共感力とは」の項目内で触れていますので、よろしければご覧ください⇒「自閉症スペクトラムと共感力について」)

息子は、幼稚園の年長時代はもちろん、小学1年生(6~7歳)のときでも、『サリーとアンの課題』に正答できませんでした。定型発達の子供たちであれば、4歳~5歳で正答するようになるそうなのですが…。

まとめ

あくまでも私見ですが、共感力の獲得と、自我の形成とは密接に関係していると思います。

その自我の初期の成長段階として、次の3つを挙げてみました。

  1. 自分の感情を自分で認識できる(自我の根っこが生えてきた
  2. 自分とは異なる他人の存在を認識し、他人にも気持ちがあることを理解する(自我が芽生え始めた
  3. 同じ状況にあっても自分とは異なる心の内容を持つ他人がいることを理解する(自我がある程度成長しつつある

情動的共感力を獲得するには、上記1と2をクリアしている必要があり、認知的共感力を獲得するには、上記3の段階に到達している必要があると思います。

就学前の息子の自我は、上記3のレベルには到達していませんでした。

一方、上記1、2はクリアしつつありましたが、いずれも合格点スレスレだったようです。息子の自我は、根っこも芽も非常に弱々しいものでした。ですから、獲得できた情動的共感力もごく一部の対象にしか発揮されませんでした。
当然ながら、母親のあくびにも全く反応がありません。

その情動的共感力が生身の人間に対しても発揮されるようになるためには、自我の芽生えに加えて、他人に対する仲間意識・同類意識のようなものが育まれる必要があります。

また、ハイレベルな認知的共感力を獲得していくためには、自我のさらなる成長が求められます。自我を順調に成長させるためにも自我の根っこが丈夫である必要があります。

そして、自我の根っこを丈夫にするために、まず大切になることは、自分の感情や考えを言語化・意識化する力だと感じています。

この言語化・意識化の力が弱い息子のようなタイプの子供には、母親を初めとする身近な大人が代弁者となり、子供の感情や考えをくみ取り、言葉にしてフィードバックしてあげる…

それが非常に大切であったのだろうと、強く実感しています。

残念ながら、息子の子育てにおいてはその点が不十分でした。もし、当時の私が息子の代弁者を徹底できていれば、息子はもっと「自分」というものをしっかりと捉えることができるようになったでしょう。加えて、母親を信頼し、母親を自分と同じような存在として認識し、母親を突破口として他者理解をスムーズに進めていったのでは…と思うのです。

このように、幼稚園時代の育児に反省だらけの私ですが、その後、いろいろ学び、対応を少しずつですが改めていったことで、息子の共感力も随分と伸びてくれました。

その点については、次稿(後編)でお話ししたいと思います。

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